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最高裁判所第三小法廷 昭和50年(オ)431号 判決 1977年5月27日

上告人

仁田原力

右訴訟代理人

矢野宏

被上告人

中村重丸

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人矢野宏の上告理由について

厚生年金保険法四〇条及び労働者災害補償保険法(昭和四八年法律第八五号による改正前のもの。)二〇条は、事故が第三者の行為によつて生じた場合において、受給権者に対し、政府が先に保険給付又は災害補償をしたときは、受給権者の第三者に対する損害賠償請求権はその価額の限度で当然国に移転し、これに反して第三者が先に損害の賠償をしたときは、政府はその価額の限度で保険給付をしないことができ、又は災害補償の義務を免れるものと定め、受給権者に対する第三者の損害賠償義務と政府の保険給付又は災害補償の義務とが、相互補完の関係にあり、同一事由による損害の二重填補を認めるものではない趣旨を明らかにしている。そして、右のように政府が保険給付又は災害補償をしたことによつて、受給権者の第三者に対する損害賠償請求権が国に移転し、受給権者がこれを失うのは、政府が現実に保険金を給付して損害を填補したときに限られ、いまだ現実の給付がない以上、たとえ将来にわたり継続して給付されることが確定していても、受給権者は第三者に対し損害賠償の請求をするにあたり、このような将来の給付額を損害額から控除することを要しないと解するのが、相当である。これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に立つて原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(環昌一 天野武一 江里口清雄 高辻正己 服部高顯)

上告代理人矢野宏の上告理由

原判決には法令の解釈を誤つた違法がある。

原判決は、その理由四、3、四段(一三枚目裏一一行目より)に於て、「右障害補償給付は、現に給付を受けた限度においてのみ、被控訴人の前記損害が填補されたものとみるべきであり、」というが、之は、損害が填補されたか否かを判断するについての法則の解釈を誤つたものというべきである。

以下具体的に述べる。

一、はじめに事実関係を再確認しておきたい。

原判決の認定する事実によれば、本件損害賠償債権の債権額は金三七〇万四、〇〇一円であり、一方被上告人は年額五二万九、三一四円の年金給付を受けていることは明らかである。ところで、被上告人が右年金を受ける経済的利益の現在価を求めれば、(右年金額が逐次増額されることは考えないで)被上告人が現在四二才(原判決九枚目表に事故当時三四才とある)であり、その平均余命は29.94年であるから、之を二九年として、ホフマン式計数表により右年金の現価を算出すると金九三三万一、四三五円余となり、右損害賠償債権額をはるかに超える。

二、「損害が填補された」とは、現実に金品の給付を受けた場合にのみ限る必要はあるまい。「損害が填補された」ということと「損害賠償債権が弁済された」ということとは別物であり、ただ損害賠償債権を消滅させるという結果を共通にするにすぎない。原判決の前記の考え方でゆけば、「向後、終生、絶対確実に、政府から一定額(それは逐次増額される可能性をもち、且現在の価額に於てもその年金現価は損害賠償債権額を超える)の年金を受給する地位を取得した」というだけでは全然「損害の填補」にはならず、現実に金員が給付されたとき、その金額だけ、填補されたこととなるということになるが、そこのところが理解できない。損害の発生に起因して右のような地位を取得したならばそのとき損害は填補されたとするのが素直な考え方ではあるまいか。この点について審究されたく本件上告に及んだ次第である。附言するのに従来の判例が原判決と同じ考え方をとつたのは、或は、労働者災害補償保険法第二〇条、厚生年金保険法第四〇条の政府の求償権を慮つてのことかと思うが、之等の条文の解釈と適用には自ら又工夫のなされる余地があり、これ等の条文に引きずられて、「損害が填補されたか否か」の判断がまげられるべきではあるまい。

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